愚痴について

愚痴についてしばらく考えていた。


必要なものなのか、なくしたほうがいいのか。


愚痴ることによってスッキリするという。それは分かる。


ただ、愚痴る=言葉にして出すことにより、思いが補強されてしまう。なんとなく気に入らないといった相手のことを大嫌いになる。


そうして、イライラが増す。スッキリしない。


なら愚痴なんて言わないほうがいいし、聞かないほうがいい。そんな風に考えてみた。


同時期に考えていたのは、ネット上のヘイトコメント。


これをまともに扱うべきか、無視すべきか。


あらゆるニュースが「炎上」していて、謝罪を要求されるケースもある。


一体誰に何を謝っているのか。


2ちゃんねるは、ヘイトコメントに溢れる掲示板だが、そこにおいて「荒らしは放置。荒らしに反応したら、あなたも荒らし」というようなルールがあった。当時僕は、全くその通りだと感じていた。荒らしはもめることが目的なので、反応するというのは火に燃料をくべるようなもの。


翻って現代。皆が荒らしに反応しまくっている。小さな火種をやたら大きくしてしまっている。


誰もが皆、心に闇を抱えている。不満を持っている。表に出したい時もあるだろうが、ぐっと我慢している。ネガティヴな感情を表に出すことは、責任を伴うから。反発を覚悟しないといけないから。


愚痴やネット上のヘイトコメントに共通するのは、「責任が伴わない」ということ。誰かを傷つける意見を表明しておいて、自分自身は傷つきたくないと、安全な場所に逃げ込む。


だから、結論から言えば、僕は愚痴も、ネット上のヘイトコメントも好きではないし、あまり関わりたくない。


だったら今なぜわざわざそのことをネットに書き込んでいるのか。勿論、賛同する人が出てきて、世の中がちょっと良くなればいいと思ってるからだが、それは愚痴る人やヘイトコメントを書く人も多分同じだろう。


これについては、もう少し考えて、次回書く。